スティーブ・ジョブズと私
ジョブズの死については、語れる言葉がないなと思っていたのですが、半日が過ぎ、アップルストア銀座での追悼を見届けていたら徐々に実感が湧いてきて、やっぱり一言書きたくなってきたので、ジョブズの生み出したiPad2の上でDPadという自分がiPadの為に作ったアプリを利用してこの文章を書いています。
自分が初めて買ったパソコンはPowerBook Duo230という当時では最も小型軽量なMac。ドッキングステーションに接続するとデスクトップのように使えるという、当時画期的なノートブックを、子供の頃から貯金していたお年玉を遂に切り崩して購入したのが始まりでした。
しかし買ったはいいけど、本体購入しただけで全ての資金が尽きて、半年くらいソフトを買うことが出来ずひたすらハイパーカードで遊んでいたのが、今思えばプログラマーになるキッカケだったと思います。
その後ますますMacに惹かれ、今では想像できないくらいマイナーな存在だったMacをひたすら使い続け、OSX以前のMacOSはお世辞にも安定してるとは言えず、好きなゲームや日本語版ソフトもほとんど発売されない環境で、意地でもMacを使い続けてました。その理由はひとえにMacの、しいてはジョブズの思想に惹かれてたんだと思います。
その後、Appleに憧れ、Appleで働きたくてソフトウェアエンジニアになり、20代は真剣にAppleに行くことを目標に仕事をしてました。30代になり、Appleで働きたいという気持ちは少し薄れてきて、日本でのエンジニアとして道を極めて行くのもいいかなと思い始めた頃に、サンフランシスコで働くというチャンスが与えられ、Appleのお膝元であるシリコンバレーで働き、ジョブズが生み出したコンピュータ産業を一番身近に感じられる環境で生活するにつれ、シリコンバレー全体が、本当にジョブズの影響力によって生み出された世界である事を深く実感する日々を送っています。
基本的に飽きっぽくて一つの物事を続けるとができない性格なのに、コンピュータとMacだけは飽きることがなく今まで使い続けているという事実が、まさにジョブズが居なければあり得なかった事だと思います。
サンフランシスコに移り住んでもAppleで働きたいという気持ちはあまり復活しなかったんですが、いつかジョブズと直接話をして、個人としての僕の存在を認識してもらえる機会は持てる位の人間にはなりたいなと思ってたのですが、僕が最終的に最もジョブズに近づけた瞬間はWWDC2010でのNexus Oneによるジョブズの激写になってしまいました。
スティーブ・ジョブズという個人の存在が、僕個人どころか、シリコンバレーや、コンピュータ業界全体にどれだけの影響を与えたのかは想像できず、今後のコンピューターがどの様に進化して行くのか、Mac、iPadの次の世代のコンピューターを生み出すという、残された世代に課せられた使命の大きさを実感し、ますます精進していくべきと、気を引き締められた思いがしています。
逆にいえば、そんなコンピューター業界の未来を黎明期から今までずっと先頭を走り続けてくれたジョブズに改めて感謝の気持ちを書き記しつつ、ご冥福をお祈りしたいと思います。
スティーブ・ジョブズありがとうございました。
Posted from DPad on my iPad